古代伝説にあらわれた英雄。倭建命とも書く(古事記)。景行天皇の皇子で 幼少時の名は小礁命。熊襲命・出雲建を討ち、さらに東征し景行天皇の妹で 伊勢神宮の斎宮・倭姫から草薙剣を授けられ蝦夷を征伐。帰還の途上・伊吹山 で倒れ、伊勢の能煩野で薨去。大和朝廷の国内統一を一人の英雄に象徴したと考えられている。
景行天皇は九州にやってきて、日向に宮を構えてじっくりと熊襲と戦った。 しかし、その息子のヤマトタケルがまた熊襲征伐をしている。 ヤマトタケルの息子の仲哀天皇の時にまた暴れた訳だが。
息子の仲哀天皇は熊襲に敗れている
ヤマトタケルは日本の英雄の原型と目されている。 が、クマソの王をたおしたときもイズモタケルをたおしたときも、はっきりいって 騙し討ち。よく言えば計略を用いた賢いやりかたなのだろうが、 これで英雄扱いされているのが不思議だ。
父の景行天皇よりクマソタケルの討伐を命じられた小礁命は童女に変装して宴の席のクマソタケル兄弟に近づき,つぎつぎに2人を殺したが,弟を刺したときその勇猛さを讃えられてヤマトタケルの名を献じられ,小礁命はその名を名乗るようになった。
女装した当時は13歳
まあ、ヤマトタケルの戦歴が複数の軍司令官の事績の集合体であること自体は 前世紀からの定説なわけだけど こないだ新刊で出てた歴史の謎系の文庫本で 「行動に整合性が見られないヤマトタケルは多重人格か?」なんて書いてるものを見つけて噴いた。
双子の兄貴をヌッ殺して父の怒りを買って 東奔西走させられたんだっけ?
ヤマトタケルが兄貴を殺す話は、父親と二人の息子の話では無く、本当は三人兄弟の話。
薨去したヤマトタケルが鳳凰になって飛来したと言われる跡地に出来た神社が近所にある
陵墓はちょっと遠いけど
鳳凰じゃなくて白鳥だお
白鳥を“しろとり”と読む神社もあるね。 その神社の由来も日本武尊を祭神に祀った神社で、 白鳥となった日本武尊が飛来してきたそうですが。