巨石が不自然に詰まれとるんじゃ。人力かのう。
平賀弘保と頭崎城跡ツーリング紀行
東広島市高屋町の頭崎山(かしらざきやま)に戦国時代の山城、頭崎城跡がある。
戦国武将、平賀弘保(ひろやす)は拠点の白山城では防備に不安を感じ、息子の興貞(おきさだ)を城主にすえ築城した城である。
しかし、興貞(おきさだ)は父と子の意に反し尼子氏勢力に属する。
弘保(ひろやす)が尼子氏から大内氏勢力にねがえるのだから仕方がなかったのかもしれない。
親子で争いを繰り広げるなか、ごうをにやした大内氏が大内勢力の毛利氏に平賀攻めを命じ頭崎城を攻略、敗北した興貞(おきさだ)は出家となる。
平賀氏の家督を興貞(おきさだ)の長男、隆宗(たかむね)に相続させるが、後に戦で死去する。
平賀弘保(ひろやす)は家督を隆宗(たかむね)の弟、広相(ひろやす)に相続させることを願うが、大内氏の策略により愛童の小早川分家の次男に相続をさせ平賀隆保(たかやす)と名のらせる。
大寧寺の変で大内氏が滅亡すると、毛利氏は頭崎城の平賀隆保(たかやす)を攻めて落城、家督を平賀広相(ひろやす)に継がせ、平賀氏は毛利氏の配下となった。
この時、平賀弘保(ひろやす)は隆保(たかやす)に援軍をださなかった。
その後、関ヶ原の戦いで毛利氏が敗北、領地没収で防長に移ると平賀氏もそれに随行し、頭崎城は廃城となったのである。
頭崎城跡のルート
うっそうとした山の中を走るルート途中から未舗装の路となり、急な傾斜が現れるがローギアで登れば問題ない。
山城跡までバイクで行けるのは、ここしか経験がない。
珍しいのではないだろうか。
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